みなさん、こんにちは!
アマテルです。
今回は、別所哲也さんにフィーチャーします。
別所哲也さんといえば、イケメンで素敵なナイスミドル。舞台を中心に幅広いフィールドに活動をしている俳優さん、という印象ですよね。
一方で、今回【出没!アド街ック天国】に出演。
変わりゆく港町横浜を様子を伝える今回、コメンテーターとして登場するのですが、実はラジオのナビゲーターとして、生活者目線での情報発信者としての側面も持っていますから、打って付けです。
別所さんの元気な姿が見られるのはとても楽しみ!
イケメンでクール、でもそれだけではない今の別所哲也さんの人となりは…?彼にどんなヒストリーがあったのでしょうか?
若い頃からの画像などを紐解いたりしながら、彼の活動、ご家族への思いの一端に触れてみたいと思います。
別所哲也さんの若い頃から現在まで。ご家族との関係をたどる。
故郷・静岡県から、上京(10代後半)

1965年、静岡県島田市生まれの別所哲也さん。
写真の右上の詰襟画像は、高校の卒業アルバムからのものでしょうか?初々しい姿が映っています。
もしそうだとすると、慶応大学進学を決めていたころに違いありません。
気候が温暖で知られる静岡県。地方でほんわかしている若者の印象は微塵もなく、すでにキリッとした顔立ちに、未来を見据える青年の姿が浮かび上がっています。
この頃から、ビジョンは世界にまで広がっていた…そう感じさせる一枚です。
俳優デビュー(21歳)

上京した目的は、俳優としてのデビュー。でも学問もしっかり修め、慶應義塾大学「法学部」に進学を決めた別所さん。
1987年、在学中の21歳でミュージカル「ファンタスティックス」で俳優デビューを果たします。何と目標達成の早いこと!
写真は22歳でデビュー直後の雄姿です。自信に満ち溢れた青年の顔が印象的ですね!
ハリウッドデビュー(25歳)

1990年には、何と25歳にして日米合作映画『クライシス2050』でハリウッドデビュー。
写真はその中で登場のシーンです。私生活でも映像の中でも変わらぬ表情は見事です。
この間演技だけでなく、英語力も磨いていたのでしょう。すごいですね。俳優としてのデビューを早々にかなえても尚、貪欲に進む別所さんに秘めるビジョンや底なしのエネルギーを感じます。
当時はまだ日本人俳優が海外の映画に出演するのは珍しかった時代。他国の映画オーディションに参加して役柄を勝ち取ったのは、その先駆け的存在でもあります。
1999年(24歳)で『ショートフィルムフェスティバル』主宰

日本発の国際短篇映画祭『アメリカン・ショートショートフィルムフェスティバル(現・ショートショートフィルムフェスティバル)』を主宰。
ジョージ・ルーカスの作品を取り上げることについての快諾も得ています。すごいバイタリティと幸運の持ち主ですね!
このショートフィルムとの出会い、そして世界的巨匠・ジョージ・ルーカスの「お墨付き」が、別所さんのライフワークともいえる活動の原点になっています。
ショートフィルムとは、上映時間が30分以内程度の映画作品のこと。華やかで大仕掛けなエンターテイメントが注目を浴びてきた中、バブル崩壊以降注目を集める小規模制作の映像作品に注目が集まっていました。
この活動は、2004年には、米国アカデミー賞公認映画祭に認定されることになります。
2005年万国博覧会「愛・地球博」(40歳)

2005年の万国博覧会「愛・地球博」では、「ショートショートフィルムフェスティバルEXPO2005」を開催。統括プロデューサーを務め、ショートフィルムの振興に大きな役割を果たします。
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