みなさん、こんにちは!
アマテルです。
今回は『カンニング竹山のイチバン研究所』に出演する チャンス大城 さんにクローズアップします。
チャンス大城さんは1975年生まれで、現在は吉本興業に所属するお笑い芸人。
吉本興業に入りながらも、大川興業へ移籍したり、フリーになったり、また吉本興業に戻ったりと落ち着かず、“地下芸人“ “クズエピソード“と揶揄されてきたチャンス大城さん。
吉本興業の新人タレント育成所である「NSC」の初回同期(8期)には、千原兄弟やFUJIWARAがいるし、2回目同期(13期)ブラックマヨネーズや次長課長という大物が揃う中、これまで半地下生活を続けてきたチャンス大城さん。
ところが2018年、『人志松本のすべらない話』に出演。突如として脚光を浴びました。プチブレイクの兆しが見えてきているのでしょうか?
今回の『カンニング竹山のイチバン研究所』出演は、後輩芸人の面倒見がとても良いと言われるカンニング竹山さんの計らいではないかと思われますが、目に懸けてもらっていることは間違いありませんよね。
かつてのコンビ「右心臓800」の相方の芸名が「玉木ピンチ!」だったことから「チャンス」と名付けたというチャンス大城さん。
地下芸人という汚名を笑いに転換して、チャンスをものにできるのか、ちょっと注目しています。
というわけで、今回はチャンス大城さんに纏わるエピソードを拾ってみようと思います。

地下芸人・チャンス大城さんのエピソード
地下芸人はテレビ出演とは縁遠く、まさにドサまわり。自腹で出演料を払って参加するライブや、公民館みたいなところでの自主開催する地下世界を生きる芸人です。
それを30年近く続けてきたチャンス大城さん。それが一体どのようにして頂点の『すべらない話』出演までたどり着いたのか、その軌跡を見てみることにしましょう。
『人志松本のすべらない話』(2018年)参加の奇跡はこうして起こった!

千原ジュニアさんの“激怒“から始まった
『人志松本のすべらない話』は所属事務所からの推薦者がオーディションに参加。その選考を潜り抜けたものに出演枠が与えられる極めて狭き門。
2018年当時所属事務所がなくフリーで活動していたチャンス大城さんには、オーディションの機会すらないところ。それがひょんなことから千原ジュニアさんの知るところとなり、「すべらない話」のスタッフに推薦が上がったのだ。
チャンス大城さんが、自宅でお笑いコンビ・飛び石連休の岩見よしまささんと飲んでいたとき、部屋の片づけをすると、昔記録していた「メモ」が出てきた。
そしてそのメモには「FUJIWARA10点、千原兄弟5点」と書いてあったそうだ。
岩見よしまささんがそのメモの写メを千原せいじさんに送ったことが発展。千原兄弟のトークライブ『チハラトーク』でそのメモの写メが巨大スクリーンに映し出されたことから千原ジュニアさんが激怒。
それがきっかけで『チハラトーク』にゲストとして出頭を命ぜられた。
ところが、その時にヤンキーにいじめを受けていた実体験があまりの面白さに大ウケ。ネタは「定時制高校時代に六甲山に首まで埋められた話」。
それがきっかけで、千原ジュニアさんから「『すべらない話』のスタッフに話を聞いてもらったらいい」とお墨付きと推薦を得たのでした。
もとはといえば、かつてNSCで学んだ同期。30年近く地下生活で磨いてきた笑いのセンスが日の目を見ることになりました。
オーディションも大ウケだった
そうして手に入れた『すべらない話』のオーディション。ところが、そこで披露した15個にも及ぶ実体験ネタが大ウケ。待機している後輩芸人たちからは「何かあったんですか?」と聞かれるほどで、通常の時間枠を大幅に超えてしまうほどだったとか。
松本人志さんに纏わるエピソード
中学2年の時、松本人志さんがラジオで「おもしろいヤツはいじめられなくなる」と言っていたことに
背中を押され、毎日放送「4時ですよーだ」のオーディションを受け、見事に突破。
視聴者参加コーナーでコントを披露し優勝。賞品としてゲーム機「セガ・マスターシステム」を獲得したそうです。
ところが、同時から激烈ないじめを受けていたチャンス大城さん。優勝賞品を手にしたことがバレて、翌日には一回も遊ぶことなく取り上げられてしまう羽目に。
ただそうしたこともあり「いじめが減った」のだそうです。
松本人志さんの影響でお笑いをこころざし、そのおかげでいじめから解放され、そして『すべらない話』で再会。深いご縁を感じますね。
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