中村雅俊の現在は?妻・五十嵐淳子、息子と母そっくりの娘も調べてみた【踊る!さんま御殿!!】

芸能人

みなさん、こんにちは!

アマテルです。

今回は、中村雅俊さんにフィーチャーしたいと思います。

中村雅俊さんと言えば、個人的には“情熱的で、美しい奥様とオシドリ夫婦“というイメージを持っています。

今回『踊る!さんま御殿‼』に登場で、変わらぬダンディーな姿を拝見するのですが、、、最近の中村雅俊さんの最近の活動がどうだったか気になり、もう少し調べてみたくなりました。

合わせて、奥様の五十嵐淳子さん、そして芸能界を引退した中村俊太さんはその後…?と調べていくうちに、娘は母・五十嵐淳子さんそっくり。モデルとして芸能界で活躍していることを知りました。

ということで、中村雅俊さんとご家族の現在を紐解いてみることにします。

出典:NORTH PRODUCTION INC.

中村雅俊さんの現在まで

誰もが知る中村雅俊さん誕生まで

中村雅俊さんは、1951年2月1日生まれ。宮城県牡鹿郡女川町出身。写真は宮城県石巻高等学校在学中のものでしょうか。

出展:テレビ朝POST

1974年(23歳)『太陽にほえろ!』でテレビ初出演の同年、本格的デビュー作になった青春ドラマ『われら青春!』で主役に抜擢。挿入歌『ふれあい』はミリオンセラー。中村雅俊さん破竹の活躍が始まります。

出展:Amazon

1982年、桑田佳祐さん作詞・作曲の『恋人も濡れる街角』も大ヒット(31歳)。

出典:Oricon

変わり果てた故郷を前に、活動の動機が変わった

幼少期から「地震があったら津波と思え」と教えられて育ってきた中村さんにとっても、実際にやって来た津波は想像以上のものだったそうで。震災後、故郷の土を踏んだ中村さんが目にしたのは、彼が知る故郷の姿でなく、衝撃をうけたようです。

物理的な喪失感だけではなく、思い出とか、だんだん記憶すらなくなってしまうような。〝自分の故郷がなくなっていく〟という感覚は、宮城を訪れるたびに、強く感じましたね

引用元:日商ASSIST BIZ

震災が、中村雅俊さんのこころにどれほど大きな衝撃を与えたのか、それを私たちが推し量ることはできません。

しかし、中村さんが受けた衝撃が、それ以降現在に至る彼の活動に、多大なる影響を与えていることは間違いありません。

以下に、震災直後からの中村さんの活動の一部に触れてみましょう。

母校の後輩たちと校歌斉唱(2011年)

2011年震災から約一か月が経過した4月、母校の女川第一小学校を訪問し。児童と一緒に校歌を歌う中村雅俊さんの姿は、ジーンときます。

出展:Sponichi Annex

写真は、2011年6月、仙台出身・稲垣潤一さん、女川町出身・中村雅俊さんらが集う「みやぎびっきの会」が行った被災地支援チャリティーコンサートの様子(中村さん60歳)。

震災以降、それ以前の芸能活動とは別に、被災地の支援と復興とを重ね合わせた活動へと関心が深まっていることが分かります。

都内でチャリティーコンサート開催(2011年)
出展:エンタメOVO
前向きに頑張る人たちを訪ねる活動(2014年)

2014年BS朝日にて放送の一幕(中村さん63歳)。東北地方の思い出の地を訪ね、被災者や懐かしい方々と触れ合い、復興へ向けて前向きに頑張る人たちを応援する中村さん。

出展:BS朝日

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